全国でオープンする新店舗のサイン会に行ってたね
俺がCMに出始めた頃のオートバックスには、修理工場みたいなイメージがあったのよ、俺の中ではね。だから「オートバックスっていう会社の魅力は何なのか」っていうことを、みんなに理解してもらうのが、俺の役割だったんじゃないかと思うんだよね。CMの「オートバックス♪」ってサウンドロゴは、今でも耳に残ってる。このイントネーションで覚えられるネーミングが良かったのかなって思うよね。記憶に残るって、大事じゃない?全国展開する中で、まず名前を覚えてもらいやすいCMをつくったのは、大ヒットだと思うね。あの頃、新店舗が増える中で開店イベントがあると呼ばれてテープカットしたりサイン会を開いたりしていたよ。
当時、CMは人気のバロメーター「オートバックス=中畑清」みたいなとこなかった?
当時「オートバックスのイメージ=中畑清」みたいなところはなかった? いや逆に、「中畑清=オートバックス」みたいな(笑)。広告代理店が、俺の元気なイメージがオートバックスに合ってると考えたからCM出演に繋がったんだよね。篠塚(和典さん)とCM共演は面白かったな。篠塚と一緒の場は今でも面白いよね。
CMっていうのは、人気のバロメーターみたいなところがある。俺は数多く出演している方の選手だった。その中でもね、オートバックスはギャラが割とよかったよ。
当時は、車好きによく話しかけられることがあったな。「なんかツテあるんですか」「タダ券みたいなのがあるんですか」って。みんなからオートバックスの商品券が欲しいって言われたよね。
プライベートでもオートバックスを利用しましたよ。オートバックスのCMに出ている以上は、アルミホイールに交換したり、車をカッコ良くするアドバイスを受けたりね。車内で使ういろんなものも買い揃えてもらって。
篠塚は、毎日でもオートバックスに行きたいっていう人だった。毎日立ち寄ってから球場入りするぐらいの熱の入りようで。行ってるだけで楽しいらしいよ。品揃えとか、そういうの見てね。これに変えよう、あれに変えようとか言ってたなぁ。(笑)
俺の人生でも勢いがあった時代、元気のいい俺を選択してくれた
創業者の住野敏郎さんとも何回もお会いしましたね。関西に行くと一緒に食事したりすることも多かったよ。気取らない人だよね。気取らないでドーンと構えてて。存在感がある。そして、結構豪快だった。普段は温厚に見えて、パーティとかそういう時の周りへの気遣いを見るとそういうのを感じたね。
オートバックスのCMに野球選手が出ていたのは、本社が大阪にあった時代だよね。大阪だからタイガースの選手が出てもって思うけど、最初は俺なんだよね。やっぱり全国展開をしていくのにジャイアンツで行こうというのはあったんじゃない?「 全国区」だったし、インパクトが違うじゃない。チームそのものに勢いがあって優勝回数も多かったし、俺の人生の中でも勢いのある時代だったから、キャラクター的にも元気のいい俺を選択してくれたと思うよ。
これからの車社会を見据えて、どんどんトライしてほしい
電気自動車とかカーシェアとか、車社会が変化する中でオートバックスには、先手打って対応していく姿勢を期待したいですね。「さすがオートバックスだね」「こんなのもう準備してるんだ」っていうようなさ。未来に対して勇気を持って進み、実現していく。願望実現ですよ、ほんとに。
あと、子どもたちにはおもちゃでも、昔のタイプのものがよく売れたりするよね。
オートバックスだからできることをどんどんトライしてほしいね。失敗を恐れずにやってもらいたいな。オートバックスにしかできないんだよ。こういうアイデアとか、オリジナリティの実現は。それが今一番求められているものだと思うから。オートバックスといったらこれだっていう、新しいものを求めてほしいね。
PROFILE
中畑 清
(ナカハタ キヨシ)
- 1954年1月6日福島県生まれ
- 安積商業高等学校
駒沢大学
- 読売ジャイアンツ(1976-1989)
- 1982〜1988年、7年連続ゴールデングラブ賞受賞。
- 日本シリーズ優秀選手受賞
- 横浜DeNAベイスターズ初代監督に就任(2012年)